2010/04/12 UPDATE
今日は月曜日でしたが、職場が臨時休業(?) あいにくの天気でしたが、せっかくの平日の休みなので ドロハチ号で田原坂までドライブしてきました。 「西南の役」・・・ 教科書で習った程度しか知識はありませんでしたが、 今回行ってみて、少々詳しくなりました♪ 江戸時代から明治維新にかけてあった事変だと思った んですが、明治10年だったんですね。(^^;; 歴史上、日本最大にして最後の内戦の場所です。<田原坂 薩軍、官軍合わせて、死者は14,000人だったとか?・・・ |
田原坂公園 | ||
公園の駐車場にて撮影♪ 天候が雨なので悔しい。(>o<") |
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土蔵の銃弾の弾痕です。 当時の戦いの凄さを物語ってます。 |
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白壁の建物。 | ||
慰霊塔 薩軍、官軍だった方々の名前が 沢山記されてました。 1877年・・・ ず〜っと昔の出来事じゃないんだよね。 今からたった130年前の出来事です。 当時の人たちは、何を思って戦い、 何を思って死んでいったのか。。 |
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曇天の空に突き刺すように 塔は建ってました。 |
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大楠と美少年像です。 | ||
「雨は降る降る 人馬は濡れる 越すに越されぬ 田原坂」 まるで今日の天気だ。(汗 |
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田原坂崇烈碑 | ||
ツツジも見頃で綺麗でした♪ 平日、且つ、雨って事もあり 観光客は殆ど居ませんでした。(汗 貸切ですばい♪v(*'-^*)bぶいっ♪ |
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見頃♪・・・しかし、この悪天候。(/・ω・)/ | ||
田原坂のジオラマ模型も 屋外に作られてました。 ”なぜに田原坂が決戦の舞台となったのか?” あの加藤清正公が熊本城を作った際、 天然の要塞として田原坂の道を作ったそうです。 大砲を運ぶルートは、当時この田原坂しか なかったそうです。 官軍も薩軍が包囲してるのを承知の上で 戦を挑んでいったようです。 |
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17日間の戦歴が記されてました。 | ||
大楠を裏(?)から見たところ。 | ||
田原坂って、「一の坂・二の坂・三の坂」を 称して言うんですね。 下から「一の坂」です。 |
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上にある「三の坂」から下ってみました。 写真のポイントが「三の坂」です。 |
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「三の坂」のとこに、谷村計介の碑があります。 | ||
「二の坂」 | ||
「二の坂」と「一の坂」の間には 竹林がありました。 アスファルト舗装されてるものの、当時の面影も あるよ〜な? |
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ドロハチ号を止めて撮影。 | ||
「一の坂」 坂の登り始めですね。 広い駐車場もありました。 |
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田原坂の麓にある「豊岡の眼鏡橋」 周りは田んぼが広がってるせいもあってか、 肥やしの臭いがプ〜〜ンと。(苦笑 |
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田原坂公園から1km程離れたとこの 「七本薩軍墓地」 |
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「七本官軍墓地」 周りは竹林でした。 |
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「七本官軍墓地」の入り口の石垣です。 苔が綺麗だったので撮影してみました。 |
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雨の中、お疲れ様でした♪>ドロハチ号 落ち葉や泥で無茶苦茶汚くなってしも〜た。(^^;; |